2010年03月14日

希望の光

 最高裁判所の小さな会議室で僕らの話に耳を傾けてくれるのは55歳前後の男性です。白髪交じりで、ごく普通の感じの人です。この人が30分時間を取ってくれます。

 最後に「これは必ず主席書記官に伝えます」と言ってくれます。主席書記官から調査官に伝えられ、調査官から第3小法廷の5人の裁判官に伝えられます。ですから、最初のこの人に理解してもらうことが非常に重要です。

 出席した職場のリーダーたちが一人ひとり意見を話します。

「この事件はつくられたものです」

「職場の仲間は有罪を認めません」

「これは冤罪です」

「公正な裁判を求めます」

 この間ずっとメモを取っているだけです。

 しかし、僕が話した時この男性はメモを取りながら僕のほうを見ました。

 権力の冷たさは身に染みて分かっています。でも、その権力の中にいる人間一人ひとりは温かいことも知ってます。裁判所の冷たさと違って、誠実な対応をしてくれて、きちんと話を聞いてくれる人がいるのです。

 真っ当な心を持つ人間が最高裁にいる限り、希望の光は消えません。

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2010年02月10日

最高裁よ聞け

 最高裁判所に毎月2回行っています。僕らの無実を訴えるためです。本当は毎日でも通いたいのですが、制限されています。

 法の番人として国民を守る立場なのに、国民の訴えに制限を加えているわけで、これは納得できません。

 2回のうち1回は門の前で書類を渡すだけです。きわめて形式的です。

 もう1回は、小さな会議室で僕らの話を30分ほど聞いてくれます。

 しかし、結局2回しか機会がありません。切羽詰まっている僕らには、あまりに冷たい態度だと言わざるを得ません。

 対応する人員が足りないのであれば増やせばいいのです。なぜなら、僕らの人権を守る最後の砦が最高裁だからです。

 さて、小さな会議室でどんなことが話されているか、次回書いてみます。 

ogurojru at 15:26|PermalinkComments(1)TrackBack(0)この記事をクリップ!最高裁へ 

2010年01月18日

最高裁に要請した日

1月15日、最高裁に要請しました。その要旨を紹介します。

「被告人として2回目の要請をします。11月30日に上告趣意書を提出して明らかにしましたが、高裁第5刑事部の中山隆夫裁判長が下した「控訴棄却」は、憲法28条違反であり、そして2月4日に「被害者Yを組合からの脱退させる」方針があったとする共謀の事実認定は、判決に及ぼす重大な事実の誤りです。

 再度、一審でのY証言を読み直せば、虚偽の証言であるし、直接証拠である甲32号証などの集会の隠し撮りしたテープを聴いても強度の脅迫は全くありません。さらにはY証言とテープを比べれば、矛盾だらけでデタラメです。このように控訴審での判決は合理的な疑いが残っています。」

 
 
 ところで、Y君が職場復帰しました。

 
 どうして? がく然としています。


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2009年12月31日

「口頭弁論を開かせる」11・30集会

 最高裁判所東門に待っている仲間の下に戻ってきました。みんなどうだったのか心配でいろいろ質問してきました。もちろん中でのやり取りを簡単に話ながら報告集会へ向かいました。

 東京都内の社会文化会館で15時から報告集会がスタートしました。本当に多く全国の仲間が集まってくれました。本当にありがとうございます。

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 集会では短い決意表明しかできませんでしたが、(1)上告趣意書を無事提出したこと、(2)憲法28条違反、判例違反、判決に及ぼす重大な事実誤認が存在するという内容が上告趣意書に展開されていること、(3)最高裁の闘いが本格的にスタートしたこと、を報告しました。

 7人の最後に美世志会の代表は「私たち美世志会が作成した上告趣意書は闘争宣言です」と決意を述べました。本当に気持ちが熱くなりました。その通りです。

 僕は、この美世志会の6人の仲間が力を合わせなかったらここまでの闘いはできなかったと思っています。

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 2002年11月1日の突然の逮捕とき僕はこんなに強い気持ちになっていただろうかと振り返ります。このブログを自分で読み直しても、ここまで強くなかったことが分かります。

 怖かったし、苦しかったし、逃げ出したかったのが本音です。しかし、6人の仲間と、大勢の仲間がいたからこそ真実を貫きました。

 クビになってもあきらめません。職場復帰を勝ちとるまで闘います。

 負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと。

 取り調べの時に口ずさんでいた「それが一番大事」は今も口ずさんでいます。

 口頭弁論を開かせましょう。そしてみんなで勝利宣言をしましょう。


ogurojru at 22:23|PermalinkComments(1)TrackBack(0)この記事をクリップ!最高裁へ 

2009年12月16日

上告趣意書提出

 2009年11月30日、最高裁判所第三小法廷に上告趣意書を提出しました。この日提出した上告趣意書は合計3冊です。

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 1冊は僕ら被告団が作成した212ページの上告趣意書、それから弁護団と後藤先生の上告趣意書がそれぞれ1冊ずつです。

 私たちは13時30分に最高裁裁判所の正面入り口に集まりました。私たちのためにJR浦和電車区の仲間や大宮地本と青年部、本部JR総連、支援する会の皆さんが結集してくれました。

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 皆さん、本当にありがとうございます。

 この7年間支えてくれた全国の仲間や支援する会の皆さんの存在の大きさをあらためて実感し、最高裁に向かっていきます。

 ところが、です。弁護団事務局長が入り口の警備員と何やら話をしています。何と正面入り口から入れないと言われたのです。「東門に回ってください」とのことです。その理由は「修学旅行で混雑している」からだそうです。

 何を言ってるんだ。僕らは上告趣意書を提出する権利があるのです。正面入り口から堂々と入るのは当たり前です。そもそも僕らは突然訪ねたわけではありません。事前に電話をしてありました。ですから正面玄関から当然入れると思っていました。

 しかも、どう見ても「混雑」していません。もちろん小学生の大事な見学です。ですが、僕ら7人と弁護士の計8人が正面口から入ることのどこが問題なのでしょうか。

 被告人という立場の僕らに最高裁がこのような対応をするとは思いもしませんでした。司法はすべての人に公平であり平等だと信じてきたからです。

 いろいろ話した結果、東門に回ることになりました。悔しいです。

 東門から入り、後ろを振り返ると仲間が手を振っています。僕に強い勇気を与えてくれます。前へ前へと後押ししてくれます。

 初めての最高裁です。入り口に警備員がいるだけで、ほかには誰もいません。
人生を賭けた司法判断を仰ぐ場所であるにもかかわらず、人と人との関わりが感じられない冷たい雰囲気の場所だなという印象です。この建物の中で15人の最高裁判官が司法のトップに君臨しているのです。

 事件係というところが上告趣意書を提出する場所でした。インフルエンザが大流行しているので、入り口に消毒用アルコールが置かれています。部屋は僕らの大宮地本の事務所より広いです。これも悔しい。

 ざっと見たところ、15人前後の職員が、全く私語なくパソコンに向かっています。静まりかえった空間です。それにしても暑い。とても暑い。僕らが外から入ってきたせいもあるかもしれませんが、それにしても暖房の設定温度が高いのではないかと感じました。

 ここで係の男性が3冊の上告趣意書を13時40分に受け取りました。1冊につき4部コピーして提出したのですが、すべて同じ物かチェックしています。

 少しすると、「被告人の方の上告趣意書には刑訴法○○(ここは聞き取れず)で自筆の署名か指印が必要」と言ってきました。

 そこで7人全員で署名して、上告趣意書提出の手続きは終了しました。時計を見ると13時50分です。

 初めての経験ですし、闘いの始まりでもありますから、気持ちが高揚します。この高ぶる気持ちを抑え、東門に待っている仲間の元に向かいます。


ogurojru at 13:58|PermalinkComments(1)TrackBack(0)この記事をクリップ!最高裁へ 

2009年11月04日

10・31集会の報告

 10・31の集会は大成功に終わりました。全国の仲間の皆さん、市民の皆さん、本当にありがとうございます。


この集会の冊子を作ります。ぜひ読んでください。入手方法は後日お知らせします。

この集会には何と2000人を超える皆さんが集まってくださいました。せっかく来てくださったのに会場に入れなかった人が大勢いました。みなさんの支えで集会は成功しました。

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 呼びかけ人代表の後藤先生は力強く「国家権力による冤罪を許してはならず、最高裁で口頭弁論を開かせる」と訴えました。民主党議員の皆さんからもご挨拶をいただきました。

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 特に鈴木宗男衆院議員の「連帯の挨拶」には感動し、勇気をもらいました。

 海外から多くのメッセージか届いただけではなく、フィリピンの労働者が日本大使館前で抗議行動をしました(写真がそうです。海外ではJRU7と呼ばれています)。

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 パネルディスカッションはパネラーが急遽変更したため私が代役を務めました。緊張はMAXです。

 でも本当に多くのことを学びました。パネラーの佐藤優さん、浅野さん、コーディネーターの山口さんありがとうございます。

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 有罪を2度も受け、会社からクビにされ、厳しい現実が目の前にあります。しかし、、闘いはこれからだと気付かせてくださった皆さんに感謝し、最後の闘いである最高裁の勝利目指して頑張ります。


ogurojru at 21:53|PermalinkComments(2)TrackBack(0)この記事をクリップ!最高裁へ 

2009年10月28日

10・31集会にご参加ください

 労働組合活動を犯罪とした暴挙に抗し上告審に勝利する10.31集会にご参加ください。

☆日時・2009年10月31日(土)、正午開場、午後12時50分〜16時30分

☆場所・日比谷公会堂(東京都千代田区日比谷公園内)

☆プログラム

パネルディスカッション
司会・山口正紀
パネラー・佐藤優、浅野健一、中村忠史、各氏ほか

そのほか
連帯あいさつ
たたかいの報告(美世志会)
アピールなど

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2009年10月19日

無実だからこそ

 9月上旬、社宅の掃除がありました。毎月1回みんなでやっている行事です。100人くらいが参加する大規模な掃除です。

 僕は解雇されたばかりです。妻に「参加するの」と聞かれて、即答しました。

「オレは出る」

 軍手を持って参加しました。顔見知りが大勢います。

 周囲の目が気になります。意識する必要はないのかもしれませんが、「解雇されたのに図々しい」と思われているのではないだろうかなどと想像してしまい、胸がつぶれそうになります。

 でも、僕の不安は取り越し苦労でした。みんな普通に声をかけてくれるのです。普段と何も変わりません。僕も普段どおりを心がけました。

 近所に山本さんという女性がいました。僕が釈放されて戻って以降も「小黒君」「小黒君」と何かと声をかけてくれた女性です。社宅の掃除の時には「小黒君、今日は頑張ろうねー」などと声をかけて励ましてくれました。残念なことにがんで亡くなったのですが、山本さんをはじめとして大勢の人に励まされ、支えられていることを、あらためて感じました。

 社宅の掃除は1時間ほどで終わりました。くたびれました。気を遣ったのだと思います。

 会社から解雇を突きつけられた僕の立場は微妙です。そんな心中を察してくれているのでしょう、JR東労組委員長が僕ら7人を誘ってくれて昼飯を食べました。

 そこで委員長に言われました。

「どんなことがあってもブレないで、東労組と一緒に闘ってほしい」

 重い言葉です。生涯貫くことができるか問われているのです。でも、分かち合える仲間がいれば頑張ることができます。

 このころ若手の仲間から電話がかかってくることがありました。

「社宅を出ないでください」

 解雇されているのに社宅にいていいのかという迷いがありました。でも、腹を決めました。どんなことがあっても自分から社宅を出ることはやめよう、と。極端な話かもしれませんが裁判所からの執行命令が出るまで住み続けよう、と。

 この覚悟を妻に話したところ、「分かった」と理解してくれました。

 社宅を出ない決意をした理由は簡単です。僕は、僕ら7人は、無実だからです。

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2009年09月29日

すぐに動いたJR東労組

 2007年8月30日に解雇通知を受け取ったことはすでに書きました。その2日後の9月1日、神奈川県の川崎市教育文化会館で「9・1緊急大集会」が開かれました。

 僕らに何らかの処分が出ることが8月29日に分かり、JR東労組が大急ぎで会場を押さえ、準備をしてくれたのだと思います。

 会場で僕はこう訴えました。

「入社15年、会社の冷酷な仕打ちに怒りと悔しさしかありません。不当処分の撤回まで闘います」

 みんなの前で語った勇ましい言葉とは裏腹に、気持ちがついていけなくなっていました。社宅を出るしかないだろうとも思っていました。

 しかし、そんな僕の気持ちを理解してくれているかのような支援が続きます。

 この集会の前に、東労組委員長が僕らに「解雇撤回されるまで、東労組が責任を持つ」と約束してくれたのです。この場に来られなかった家族がいたので、先輩の1人が委員長に「家族全員の前でもう一度言ってほしい」と頼みました。

 この結果、後日あらためて東労組大宮地本の事務所に委員長ら三役が来てくれて、すべての家族の前で約束を繰り返してくれました。

 心強さをひしひしと感じます。

ogurojru at 22:54|PermalinkComments(1)TrackBack(0)この記事をクリップ!解雇されて 

2009年09月13日

家庭から消えた笑顔

 夕食を終え、子供を寝かしつけて、これからのことについて妻と話しました。

 最大の問題は社宅を60日以内に退去しなければならないことです。最終的に「出よう」という結論になりました。しかし、私の都合で子供をこれ以上巻き込むことは避けたいと思いました。転校せずに済むよう、近くに引っ越せないかと考えました。

 引っ越す範囲は何となく見えてきましたが、将来どうなっていくのか、お金は、あしたどうすればいいのか、といったことが見えなくなっています。遠い将来までおぼろげながらも見えていた光景が、全く何も見えなくなっているのです。

 解雇通知を手にした日から1週間くらいは、答えの出ない会話の繰り返しでした。妻との笑いのない会話は寒々としたものです。

 そんな家庭に帰りたくないという気持ちもあり、引っ越し先を探す口実で不動産屋を回ったりしたこともあります。

 足下が崩壊して、これからどうすればいいか分からない。大きな不安が広がっているのに、引っ越し先もこれからどうするかも何も決まらない。そんな不安定な状況が、僕らの家庭から笑いを奪っていました。 

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