2009年07月04日
ニヤリと笑った中山裁判長
6月5日の控訴審で東京高裁第5刑事部の中山隆夫裁判長が「本件各控訴をいずれも棄却する」と言った直後、判決批判の声が法定内を飛び交いました。
「不当判決!」
「ナンセンス!」
私たち7人と傍聴席から瞬間的に声が出たのです。怒りしかありません。
中山裁判長の「静かに。被告人は座ってください」という指示にしたがい、法定内はすぐに静かになりました。
中山裁判長は1時間20分ほどかけて棄却の理由を述べました。
言い渡しではこう述べました。
「事実を誤認しているが判決には影響はない」
「共謀の時期を変更した」
事実誤認があったことを認めたのです。
Yについて、次のように認めています。
「問題はあった」
「十分な釈明、相当な謝罪をせず、反省の姿勢を示さなかった」
「ただちに除名処分に相当するかどうかはどうかはともかく、組合内において一定の制裁を受ける理由があった」
今回の件については次のように指摘しました。
「団結を保持し、組合としての一体化を図るために統制権を行使する場合がある」
「対使用者の関係だけでなく、当該労働組合との対立する他の労働組合との関係においても認められる」
「制裁にかけるか、脱退届を出すよう促すか、自主的脱退を待つか、は労働組合が自主的に判断すべき」
いずれも私たちの行動を強く肯定しています。しかし、最後の判断だけがひっくり返ります。
つまり、それでも僕たち7人の行動は「強要」に該当すると認定したのです。
例えば、職場集会での発言などを「いわば多勢に無勢という状況」で「身体はともかく、少なくとも自由や名誉に危害を加えることを告知する」ものだから「刑法223条に該当しるとした原判決は正当」と認定しました。
要するに、今回の活動の目的の正当性は認めるけれど、その手段は違法だと言うのです。
しかし、何度も説明しているように、浦和電車区分会でYを「村八分」にしたり、職場集会でYを「いわば多勢に無勢という状況」にしたことなどはありません。
またもや裁判所は真実を見ようとはしませんでした。絶対にこの控訴棄却は認めません。
「不服がある場合は15日以内に上告できます。閉廷します」
傍聴者は法廷を出ました。
中山裁判長らが立ち上がります。裁判官席の裏側(法廷の前側)の扉から出るためです。僕らのほうを一瞬チラリと見て軽く会釈したように見えました。
頭に来ていた僕は大きな声で主張しました。
「中山裁判長! 事実と違う! 事実と違う!」
ほかの6人も同じように主張しました。
中山裁判長は何も答えず、とびらに向かうためこちらに背中を向けようとしたその瞬間ニヤリと笑いました。
この笑いがどういう意味か分かりませんが、非常に悔しい笑い方です。閉廷したとはいえ、棄却されて悔しい思いに駆られている僕らにニヤリと笑うのは不謹慎ではないでしょうか。
その場で上告申立書を書きました。
判決文が出てくるのを待ちました。実は6月19日に判決文ができあがると聞いていたのですが、裁判所から「判決文がまだできない」という知らせが届きました。
何で?
書き直しているの?
自分で決めた約束を守らない裁判官に有罪を下されたのです。
私たちは無実です。これから最高裁で闘います。応援してください。
「不当判決!」
「ナンセンス!」
私たち7人と傍聴席から瞬間的に声が出たのです。怒りしかありません。
中山裁判長の「静かに。被告人は座ってください」という指示にしたがい、法定内はすぐに静かになりました。
中山裁判長は1時間20分ほどかけて棄却の理由を述べました。
言い渡しではこう述べました。
「事実を誤認しているが判決には影響はない」
「共謀の時期を変更した」
事実誤認があったことを認めたのです。
Yについて、次のように認めています。
「問題はあった」
「十分な釈明、相当な謝罪をせず、反省の姿勢を示さなかった」
「ただちに除名処分に相当するかどうかはどうかはともかく、組合内において一定の制裁を受ける理由があった」
今回の件については次のように指摘しました。
「団結を保持し、組合としての一体化を図るために統制権を行使する場合がある」
「対使用者の関係だけでなく、当該労働組合との対立する他の労働組合との関係においても認められる」
「制裁にかけるか、脱退届を出すよう促すか、自主的脱退を待つか、は労働組合が自主的に判断すべき」
いずれも私たちの行動を強く肯定しています。しかし、最後の判断だけがひっくり返ります。
つまり、それでも僕たち7人の行動は「強要」に該当すると認定したのです。
例えば、職場集会での発言などを「いわば多勢に無勢という状況」で「身体はともかく、少なくとも自由や名誉に危害を加えることを告知する」ものだから「刑法223条に該当しるとした原判決は正当」と認定しました。
要するに、今回の活動の目的の正当性は認めるけれど、その手段は違法だと言うのです。
しかし、何度も説明しているように、浦和電車区分会でYを「村八分」にしたり、職場集会でYを「いわば多勢に無勢という状況」にしたことなどはありません。
またもや裁判所は真実を見ようとはしませんでした。絶対にこの控訴棄却は認めません。
「不服がある場合は15日以内に上告できます。閉廷します」
傍聴者は法廷を出ました。
中山裁判長らが立ち上がります。裁判官席の裏側(法廷の前側)の扉から出るためです。僕らのほうを一瞬チラリと見て軽く会釈したように見えました。
頭に来ていた僕は大きな声で主張しました。
「中山裁判長! 事実と違う! 事実と違う!」
ほかの6人も同じように主張しました。
中山裁判長は何も答えず、とびらに向かうためこちらに背中を向けようとしたその瞬間ニヤリと笑いました。
この笑いがどういう意味か分かりませんが、非常に悔しい笑い方です。閉廷したとはいえ、棄却されて悔しい思いに駆られている僕らにニヤリと笑うのは不謹慎ではないでしょうか。
その場で上告申立書を書きました。
判決文が出てくるのを待ちました。実は6月19日に判決文ができあがると聞いていたのですが、裁判所から「判決文がまだできない」という知らせが届きました。
何で?
書き直しているの?
自分で決めた約束を守らない裁判官に有罪を下されたのです。
私たちは無実です。これから最高裁で闘います。応援してください。
2009年06月27日
「本件各控訴をいずれも棄却する」
6月5日に控訴審判決がありました。
小雨の降る中、傍聴券配布枚数は何と2985枚だったそうです。傍聴券申し込みの締め切りは午前9時なのに、大勢が希望したので9時10分までかかりました。
合計60回に及んだ第1審の傍聴希望者はのべ9万人以上にのぼります。今回の5回に及ぶ控訴審では毎回2000人以上が傍聴を希望してくださいましたから、のべ1万人以上になります。第1審と控訴審を合わせると、のべ10万人以上の人が傍聴を求めて並んでくださったのです。
暑い日も寒い日も雨の日もありました。並んでくださったすべての皆さん、本当にありがとうございます。
今回は、僕の仲間たちが街頭で訴える姿に興味を持って並んでくださった市民の方もいたようです。
さて、いつものように荷物チェックを受けて102号法廷に入ります。時計を見ると9時45分です。
東京高裁第5刑事部の中山隆夫裁判長以下2人の裁判官が入廷してきました。
あれ?
裁判長は同じですが、裁判長の左右に座る裁判官は初めて見る顔です。何と3人のうち2人の裁判官が交代しているのです。
第5回の法廷で僕にしつこく質問してきた右側の裁判官が判決の日にいないのです。あれだけ話を丹念に聞いておきながら、何だよまったく。
中山隆夫裁判長がいかにも堂々とした感じの声で言ってきました。
「被告人はその場で立ってください」
僕ら7人は立ち上がります。中山裁判長の発言はいきなりでした。
「本件各控訴をいずれも棄却する」
2009年04月01日
6月5日の控訴審判決日に向けて
第4回控訴審の前日、浦和電車区分会の第7回家族会総会が行われ、家族全員で参加しました。本当に大勢の浦和電車区分会の家族が集まりました。お疲れさまでした。
会場で浦和電車区分会家族会会長から次のような言葉をいただきました。
「この6年を振り返ると、一言では言い尽くせません。気持ちだけが先行して何も出来ませんでした。みんなで拘置所の近くでお茶をしながら話し合ったことが忘れられませんね」
家族会の皆さんも歯を食いしばって頑張ってきたことを改めて実感しました。
「今では東労組の組合歌を歌えるまでになりましたね。これからも美世志会とそして美世志会の家族の皆さんを支えていきましょう」
温かい言葉をいただき、懇親を深めました。本当に楽しい一日を送り、法廷に臨む勇気をいただきました。
控訴審第4回公判の当日、傍聴券獲得のために2032人もの支援する会の皆さんに来ていただきました。本当にありがとうございます。控訴審は毎回2000枚を超える傍聴券が配布されたことになります。
2003年2月25日初公判から何と9万3295人もの人が公判傍聴券獲得に集まってくださいました。これだけの人が東京高等裁判所を包囲しているのです。
第4回公判は午後1時15分から午後3時20分まで、弁護側が力強い最終弁論を陳述しました。検察側は「弁論要旨」を提出しただけで終了しました。
弁護側は訴えました。
「控訴審での事実取調(控訴審で行われた証人尋問や被告人質問のこと)で被告人らには強要罪の共謀がないことがより一層明らかになった」と述べ、「よって原判決(1審)には重大な事実誤認があるため直ちに破棄されなければならず、控訴審にあっては被告人全員につき無罪判決が言い渡されなければならないというべきである」
そして裁判長より判決日の指定が行われました。
6月5日です。
閉廷寸前に当時の分会長だったUさんが裁判長に訴えました。
「裁判長、最後なので一言、言わせて下さい。今日の弁論で言ったこと、私たちが証言したことが真実ですので無罪をお願いします」
自信に満ちあふれた声で、堂々と、力強く発言しました。
裁判長は答えました。
「今の発言はなかったことにします」
法廷での記録には載せないという意味のようです。しかし中山裁判長。無実を訴える発言自体がなかったことはできません。90人以上の傍聴者が聞いていました。そしてこのブログを読んでいる皆さんも知りました。そして知った皆さんが、さらに伝えてくれます。
無実の叫びがなかったことにはさせません。
5月には全国で県別に集会が開催されます。私たちもキャラバン行動に出ます。
6月5日の判決日まで一人でも多くの皆さんにお会いし、真実を伝えます。
そして公正・公平な裁判を求め、無罪判決をみんなでつかみましょう。
会場で浦和電車区分会家族会会長から次のような言葉をいただきました。
「この6年を振り返ると、一言では言い尽くせません。気持ちだけが先行して何も出来ませんでした。みんなで拘置所の近くでお茶をしながら話し合ったことが忘れられませんね」
家族会の皆さんも歯を食いしばって頑張ってきたことを改めて実感しました。
「今では東労組の組合歌を歌えるまでになりましたね。これからも美世志会とそして美世志会の家族の皆さんを支えていきましょう」
温かい言葉をいただき、懇親を深めました。本当に楽しい一日を送り、法廷に臨む勇気をいただきました。
控訴審第4回公判の当日、傍聴券獲得のために2032人もの支援する会の皆さんに来ていただきました。本当にありがとうございます。控訴審は毎回2000枚を超える傍聴券が配布されたことになります。
2003年2月25日初公判から何と9万3295人もの人が公判傍聴券獲得に集まってくださいました。これだけの人が東京高等裁判所を包囲しているのです。
第4回公判は午後1時15分から午後3時20分まで、弁護側が力強い最終弁論を陳述しました。検察側は「弁論要旨」を提出しただけで終了しました。
弁護側は訴えました。
「控訴審での事実取調(控訴審で行われた証人尋問や被告人質問のこと)で被告人らには強要罪の共謀がないことがより一層明らかになった」と述べ、「よって原判決(1審)には重大な事実誤認があるため直ちに破棄されなければならず、控訴審にあっては被告人全員につき無罪判決が言い渡されなければならないというべきである」
そして裁判長より判決日の指定が行われました。
6月5日です。
閉廷寸前に当時の分会長だったUさんが裁判長に訴えました。
「裁判長、最後なので一言、言わせて下さい。今日の弁論で言ったこと、私たちが証言したことが真実ですので無罪をお願いします」
自信に満ちあふれた声で、堂々と、力強く発言しました。
裁判長は答えました。
「今の発言はなかったことにします」
法廷での記録には載せないという意味のようです。しかし中山裁判長。無実を訴える発言自体がなかったことはできません。90人以上の傍聴者が聞いていました。そしてこのブログを読んでいる皆さんも知りました。そして知った皆さんが、さらに伝えてくれます。
無実の叫びがなかったことにはさせません。
5月には全国で県別に集会が開催されます。私たちもキャラバン行動に出ます。
6月5日の判決日まで一人でも多くの皆さんにお会いし、真実を伝えます。
そして公正・公平な裁判を求め、無罪判決をみんなでつかみましょう。
2009年03月24日
2009年03月19日
証言台という孤独の中で
午後1時にには法廷に入りました。裁判長たちは午後1時13分に入廷しました。その後に傍聴者の入廷です。
すぐに被告人質問に入りました。
まず、当時の分会長の被告人質問です。予定は45分ですが午後2時55分までかかりました。
検察官の反対質問は何点かありましたが、裁判官の最終質問の方が長くなりました。
僕の被告人質問は次に迫っているので、分会長の被告人質問には集中できませんでした(本当にすみません)。こんな緊張感の中でずっと待たされるなら、一番がいいなぁと感じていました。
だからといって、もちろん全く聞かなかったわけではありません。UさんはY君を組合から辞めさせる方針を決めていないことや当時の心境などを証言しました。
Uさん見習いであるY君に対しての気持ち、他労組の幹部の指示に従っていたと聞いて今までの関係は何だったのかと涙したこと、自分が分会長でいいのかと考えて正直なところ嫌になっていたこと、などが証言されました。
UさんとY君は寝食を共にした鉄道の仲間でした。
僕はY君に対しては同期である仲間意識がありましたが、UさんとY君は教導と見習いの関係で、深いものがあったのです。それだけにUさんの切なさが伝わってきました。
Uさんの証言を聞きながら、「犯行動機」がどこにあるのかとあらためて強い疑問を抱きました。第1審判決では、あろうことか、Y君のウソに対して怒ったことが犯行動機とされ、「まことに短絡的」と決め付けられました。この判決こそ「まことに短絡的」です。
さて、15分間の休憩をはさんで午後3時10分から僕の被告人質問です。
傍聴席に一礼して仲間の皆さんの顔を見て少し落ち着かせました。
証言台の右横に立ちます。
「裁判長、水よろしいですか?」と許可をもらって証言台に置きました。
2度目の証言台です。
後ろには大勢の仲間が見守ってくれています。その思いがひしひしと伝わってきます。勇気づけられます。しかし、当たり前とはいえ、証言台では僕一人です。
証言台では誰の助けもありません。孤独とはこういうものなのか。でも、傍聴に駆けつけてくれた大勢の仲間のことを思うと、僕は頑張るしかありません。
当時の記憶をたぐり寄せて、事実だけを証言します。
2001年1月21日〜26日についてです。
1審の有罪判決では1月21日の拡大闘争委員会で「Yを脱退させる方針」が決定(共謀を認定)して、翌日から個別総対話で組合員に伝えた(順次共謀を認定)とされているので、当時の事実を確認しながら僕の被告人質問が進みました。
Y君は「東労組に本当にいたかった?」という疑問を弁護側から質問されました。
Y君の言動から、「他労組に行きたいと考えていたのだろう」と僕は答えました。本当に当時そう感じていたのです。
1審の判決には、東労組を辞めたいと思っていたY君を僕らがどうして強要して辞めさせなければならなかったのか、という大きな矛盾が残っています。
検察官から反対質問がありましたが、1審の反対質問と同じ内容でした。特に答えられないものではありません。
最終質問ではしつこく聞かれたことがありますが、冷静に証言できたと思います。
裁判官「あなたとしてはそんなに怒りで熱くなっていなかったと思いますが、ほかに厳しい姿勢で『追及すべきだ』と言った人もいるのではないか?」
私「脅迫して脱退させろという人はいません」
裁判官「そうだとは思っていませんが、穏便にでもいいんですが『もう辞めさせるべきだ』『組合を脱退させるべきだ』と言っている人はいませんでしたか?」
このようなやり取りをしましたが、質問してきた右陪席の質問は最初から決めつけているのではないかと思います。
弁護側からは、一点だけ裁判官が勘違いしているので質問がありました。
時計を見たら「16:25」でした。控訴審での1時間15分に及ぶ被告人質問は納得のいく証言で終わりました。
もう一人Sさんの被告人質問がありましたが、Uさんと私の被告人質問が長引きましたので時間の調整をしてSさんも無事に終了しました。
次回は弁論となり、いよいよ判決です。
すぐに被告人質問に入りました。
まず、当時の分会長の被告人質問です。予定は45分ですが午後2時55分までかかりました。
検察官の反対質問は何点かありましたが、裁判官の最終質問の方が長くなりました。
僕の被告人質問は次に迫っているので、分会長の被告人質問には集中できませんでした(本当にすみません)。こんな緊張感の中でずっと待たされるなら、一番がいいなぁと感じていました。
だからといって、もちろん全く聞かなかったわけではありません。UさんはY君を組合から辞めさせる方針を決めていないことや当時の心境などを証言しました。
Uさん見習いであるY君に対しての気持ち、他労組の幹部の指示に従っていたと聞いて今までの関係は何だったのかと涙したこと、自分が分会長でいいのかと考えて正直なところ嫌になっていたこと、などが証言されました。
UさんとY君は寝食を共にした鉄道の仲間でした。
僕はY君に対しては同期である仲間意識がありましたが、UさんとY君は教導と見習いの関係で、深いものがあったのです。それだけにUさんの切なさが伝わってきました。
Uさんの証言を聞きながら、「犯行動機」がどこにあるのかとあらためて強い疑問を抱きました。第1審判決では、あろうことか、Y君のウソに対して怒ったことが犯行動機とされ、「まことに短絡的」と決め付けられました。この判決こそ「まことに短絡的」です。
さて、15分間の休憩をはさんで午後3時10分から僕の被告人質問です。
傍聴席に一礼して仲間の皆さんの顔を見て少し落ち着かせました。
証言台の右横に立ちます。
「裁判長、水よろしいですか?」と許可をもらって証言台に置きました。
2度目の証言台です。
後ろには大勢の仲間が見守ってくれています。その思いがひしひしと伝わってきます。勇気づけられます。しかし、当たり前とはいえ、証言台では僕一人です。
証言台では誰の助けもありません。孤独とはこういうものなのか。でも、傍聴に駆けつけてくれた大勢の仲間のことを思うと、僕は頑張るしかありません。
当時の記憶をたぐり寄せて、事実だけを証言します。
2001年1月21日〜26日についてです。
1審の有罪判決では1月21日の拡大闘争委員会で「Yを脱退させる方針」が決定(共謀を認定)して、翌日から個別総対話で組合員に伝えた(順次共謀を認定)とされているので、当時の事実を確認しながら僕の被告人質問が進みました。
Y君は「東労組に本当にいたかった?」という疑問を弁護側から質問されました。
Y君の言動から、「他労組に行きたいと考えていたのだろう」と僕は答えました。本当に当時そう感じていたのです。
1審の判決には、東労組を辞めたいと思っていたY君を僕らがどうして強要して辞めさせなければならなかったのか、という大きな矛盾が残っています。
検察官から反対質問がありましたが、1審の反対質問と同じ内容でした。特に答えられないものではありません。
最終質問ではしつこく聞かれたことがありますが、冷静に証言できたと思います。
裁判官「あなたとしてはそんなに怒りで熱くなっていなかったと思いますが、ほかに厳しい姿勢で『追及すべきだ』と言った人もいるのではないか?」
私「脅迫して脱退させろという人はいません」
裁判官「そうだとは思っていませんが、穏便にでもいいんですが『もう辞めさせるべきだ』『組合を脱退させるべきだ』と言っている人はいませんでしたか?」
このようなやり取りをしましたが、質問してきた右陪席の質問は最初から決めつけているのではないかと思います。
弁護側からは、一点だけ裁判官が勘違いしているので質問がありました。
時計を見たら「16:25」でした。控訴審での1時間15分に及ぶ被告人質問は納得のいく証言で終わりました。
もう一人Sさんの被告人質問がありましたが、Uさんと私の被告人質問が長引きましたので時間の調整をしてSさんも無事に終了しました。
次回は弁論となり、いよいよ判決です。
2009年03月13日
第3回公判の朝
控訴審第3回公判の前日はリラックスしようと思い、公判調書を読むくらいにしました。あまりにも考え過ぎたり緊張したりすることが役に立たないことを1審で経験していたからです。
仲間からの檄メールやFAXなどがたくさん届きました。みんな一緒に闘っている気持ちで明日を迎える様子がひしひしと伝わってきました。
釧路の仲間から「今から東京に向かう」とメールが届きました。この青年部のリーダーは全国キャラバンで僕らが釧路から帯広に行くとき車の運転を代わってくれた仲間です。
公判の傍聴をしようと全国から駆けつけてくれます。
本当に勇気が出ます。ありがとうございます。
当日、目覚めのいい朝です。前の日は早く布団に入り、ぐっすり眠れました。
「よし、今日は頑張るぞ」
目覚めのいい朝ですが、残念ながら冷たい雨が降っています。傍聴券の入手のために並ぶ仲間や支援してくれる人のことを思うと、公判の日の雨はつらい気持ちになります。
公判は午後1時15分開始なので午前中はゆっくりしました。自分が証言する内容を自宅で妻相手に話したりしました。資料を読むだけでは頭に定着しにくいので、いろいろ妻に質問してもらい答えました。
その答えは、現場が目に浮かぶように意識して話すことが大事だと教えられました。だから僕の頭の中にはいつも現場があります。現場は1つしかないので、何度聞かれてもブレません。
ところで、去年11月1日に東京の日比谷野外音楽堂で開かれた「不当判決を覆し控訴審に勝利する11・1大集会」を見に来た妻は、あとで「自分の言葉に酔ってない?」というシビアな感想を僕に言いました。
妻には「感動した」とか「よかった」とか言ってもらいたかったので、内心コノヤローと思いました。僕は全国の仲間を意識して話したつもりですが、妻と同じ感想を仲間に抱かせてしまったらどうしようと心配しました。
もちろん僕は酔っていないつもりですが、妻のシビアな声を聞いて以来ますます気をつけて話しているつもりです。妻との問答ではその辺りも意識しました。
さて、出発です。
玄関で妻から「頑張ってね」と言われ、裁判所に向かいました。
妻は控訴に反対でした。その妻が僕を支えてくれています。「頑張ってね」という妻の言葉を聞いてさらに気合いを入れ、駅に向かいました。
東京高等裁判所に到着すると、すでに大勢の仲間が傍聴券獲得のために並んでくれています。今回は2317枚もの傍聴券が配布されたそうです。毎回2000枚を超えています。
裁判所前でさっそく僕はマイクを持ちました。
大勢の仲間や支援してくれる人たちに感謝し、今回僕が証言台で語る機会を実現できるのはみんなの闘いのおかげだと感謝し、今日の証言は堂々と真実を述べると決意を語りました。と書くとかっこよく見えますが、実は話し始めた途端に何だが緊張してきて何を話したのか覚えていません。
雨が上がってきました。
釧路の仲間から全国キャラバンで「エゾシカの角」のお守りをもらっています。雨避けのお守りです。エゾシカの角の効果が出たに違いありません。しかし、さすがに寒さには効かないようです。
雨の中、寒い中、みんなには本当に「感謝」の言葉以外にありません。
仲間の激励をもらって、さあ、102号法廷に向かいます。
仲間からの檄メールやFAXなどがたくさん届きました。みんな一緒に闘っている気持ちで明日を迎える様子がひしひしと伝わってきました。
釧路の仲間から「今から東京に向かう」とメールが届きました。この青年部のリーダーは全国キャラバンで僕らが釧路から帯広に行くとき車の運転を代わってくれた仲間です。
公判の傍聴をしようと全国から駆けつけてくれます。
本当に勇気が出ます。ありがとうございます。
当日、目覚めのいい朝です。前の日は早く布団に入り、ぐっすり眠れました。
「よし、今日は頑張るぞ」
目覚めのいい朝ですが、残念ながら冷たい雨が降っています。傍聴券の入手のために並ぶ仲間や支援してくれる人のことを思うと、公判の日の雨はつらい気持ちになります。
公判は午後1時15分開始なので午前中はゆっくりしました。自分が証言する内容を自宅で妻相手に話したりしました。資料を読むだけでは頭に定着しにくいので、いろいろ妻に質問してもらい答えました。
その答えは、現場が目に浮かぶように意識して話すことが大事だと教えられました。だから僕の頭の中にはいつも現場があります。現場は1つしかないので、何度聞かれてもブレません。
ところで、去年11月1日に東京の日比谷野外音楽堂で開かれた「不当判決を覆し控訴審に勝利する11・1大集会」を見に来た妻は、あとで「自分の言葉に酔ってない?」というシビアな感想を僕に言いました。
妻には「感動した」とか「よかった」とか言ってもらいたかったので、内心コノヤローと思いました。僕は全国の仲間を意識して話したつもりですが、妻と同じ感想を仲間に抱かせてしまったらどうしようと心配しました。
もちろん僕は酔っていないつもりですが、妻のシビアな声を聞いて以来ますます気をつけて話しているつもりです。妻との問答ではその辺りも意識しました。
さて、出発です。
玄関で妻から「頑張ってね」と言われ、裁判所に向かいました。
妻は控訴に反対でした。その妻が僕を支えてくれています。「頑張ってね」という妻の言葉を聞いてさらに気合いを入れ、駅に向かいました。
東京高等裁判所に到着すると、すでに大勢の仲間が傍聴券獲得のために並んでくれています。今回は2317枚もの傍聴券が配布されたそうです。毎回2000枚を超えています。
裁判所前でさっそく僕はマイクを持ちました。
大勢の仲間や支援してくれる人たちに感謝し、今回僕が証言台で語る機会を実現できるのはみんなの闘いのおかげだと感謝し、今日の証言は堂々と真実を述べると決意を語りました。と書くとかっこよく見えますが、実は話し始めた途端に何だが緊張してきて何を話したのか覚えていません。
雨が上がってきました。
釧路の仲間から全国キャラバンで「エゾシカの角」のお守りをもらっています。雨避けのお守りです。エゾシカの角の効果が出たに違いありません。しかし、さすがに寒さには効かないようです。
雨の中、寒い中、みんなには本当に「感謝」の言葉以外にありません。
仲間の激励をもらって、さあ、102号法廷に向かいます。







