2012年01月10日
2012年 スタートの最高裁要請
今日、「えん罪を許さない西多摩青年の会」11名のみなさんと一緒に最高裁要請に行ってきました。
最高裁の要請受付が今日からだったそうですが、初日から要請を行いました。
今日で全国から214回の要請があったと担当官の方から話がありました。
それほど最高裁の判断をみなさんが注目しています。
同会のみなさんから
「事実誤認があるのに有罪判決はおなしい」
「7名は無罪です」
「日頃から市民のみなさんに訴えている。何故有罪なのか?確たる証拠もないのに有罪にされている」
「仲間を質すことが犯罪なのか?」
「被害届が出される前から捜査が始まっているなんておかしい」
など、私たちの無罪を信じ情熱をもって訴えてくれました。
本当にありがとうございました。
僕も話す時間があったので一所懸命に無罪判決を出してくれるように訴えてきました。
また、昨年12月に報道された「がくろう神奈川」事件について公安警察の不当逮捕と裁判所のチェックなき逮捕状許可に抗議してきました。
何と驚くべきことに一時間の団体交渉が「強要未遂事件」として、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)の現・元組合員4名が、神奈川県警公安3課と栄警察署に不当逮捕されたのです。
人権を守る司法がなんら機能していません。
労働三権が公権力によって不当介入されているのです。絶対に許せない不当弾圧です。
だからこそ、僕らの事件も判例にさせないためにも逆転無罪にする強い気持ちになりました。
今年こそ逆転無罪判決をかちとるぞ!

最高裁の要請受付が今日からだったそうですが、初日から要請を行いました。
今日で全国から214回の要請があったと担当官の方から話がありました。
それほど最高裁の判断をみなさんが注目しています。
同会のみなさんから
「事実誤認があるのに有罪判決はおなしい」
「7名は無罪です」
「日頃から市民のみなさんに訴えている。何故有罪なのか?確たる証拠もないのに有罪にされている」
「仲間を質すことが犯罪なのか?」
「被害届が出される前から捜査が始まっているなんておかしい」
など、私たちの無罪を信じ情熱をもって訴えてくれました。
本当にありがとうございました。
僕も話す時間があったので一所懸命に無罪判決を出してくれるように訴えてきました。
また、昨年12月に報道された「がくろう神奈川」事件について公安警察の不当逮捕と裁判所のチェックなき逮捕状許可に抗議してきました。
何と驚くべきことに一時間の団体交渉が「強要未遂事件」として、学校事務職員労働組合神奈川(がくろう神奈川)の現・元組合員4名が、神奈川県警公安3課と栄警察署に不当逮捕されたのです。
人権を守る司法がなんら機能していません。
労働三権が公権力によって不当介入されているのです。絶対に許せない不当弾圧です。
だからこそ、僕らの事件も判例にさせないためにも逆転無罪にする強い気持ちになりました。
今年こそ逆転無罪判決をかちとるぞ!

2011年11月02日
不当逮捕から9年!

あの2002年の不当逮捕から9年か経過してしまいました。今年も「弾圧から9年!最高裁に口頭弁論を開かせ、美世志会の逆転無罪を実現する11・1大集会」が11月1日に開催されました。
本当に長い闘いだと実感します。
いまだ最高裁からの連絡はありません。
集会では布川事件で再審無罪をかちとった杉山さんから「絶対にあきらめてはいけない」というエールをもらいました。最後まであきらめず無実を訴え闘い続けます。
みなさん、9年間の裁判闘争の支援に感謝します。そしてこれからもよろしくお願いします。

この集会で採択されたアピールを乗せます。是非読んでください。
集会アピール
本日、「えん罪・JR浦和電車区事件を支援する会」とJR東労組は滝野川会館において「弾圧から9年 最高裁に口頭弁論を開かせ、美世志会の逆転無罪を実現する11・1大集会」を開催し、裁判闘争の勝利に向けた運動をさらに強化し広めていくことを確認した。
最高裁判所に上告してから2年が経過し、私たちは故後藤弁護士の「闘いの主戦場は法定外にある」を実践し、広大な連帯を創りだしつつ、憲法で保障されている労働組合の団結権を守るため、司法の場における最後の局面の闘いに挑んでいる。東日本大震災や原発事故で被災した仲間をはじめ、全国からじつに180回を超える最高裁要請行動や、各地において街頭宣伝行動を継続し無罪を訴え続けている。
私たちは、闘いを通して「組織を半分にしてやる」「若い人はついてこない」などという権力の狙いを打ち砕き、佐藤 優氏が全国賛同人会議で述べたように、本質的にこの闘いに勝利している。そして、裁判で証拠物のねつ造や検察のストーリーに基づいた供述調書の実態を暴露し、無実を裏付ける証拠を提出し無罪を訴えた。しかし第一審で東京地裁は有罪判決を下し、控訴審では東京高裁が事実誤認の主張を一部採用しながらも、共謀日を変更してまで不当にも控訴を棄却した。警察・検察・裁判所の暴挙は、えん罪・JR浦和電車区事件に止まらない。
いま「検察による証拠のねつ造」「推論・推認による有罪判決」など司法の暴走や労働運動や市民運動に対する弾圧に見られる警察・検察・裁判所の反動化に警鐘を鳴らす声が大きくなっている。労働運動・市民運動への弾圧や、組合活動の規制・排除の行き着く先は、戦争に突き進む暗黒の時代であることは歴史をみても明らかだ。
私たちは、平和・人権・民主主義を守り抜くために、口頭弁論を開催させ美世志会7名の完全無罪を勝ちとり、懲戒解雇処分を撤回させ職場復帰を成し遂げなければならない。そして、袴田事件や布川事件などえん罪事件や政治弾圧に抗する不屈の闘いに学び、連帯し闘い抜こう。
私たちは、美世志会と家族の9年間にわたる苦闘を自らのものとし、職場に地域に「美世志会は無罪だ!」「JR浦和電車区事件は闘う労働組合に対する政治弾圧だ!」と訴え続け、取り調べの全面可視化や押収品の全面開示を求める運動と連携し、広大な支援・連帯の輪を構築し裁判闘争に勝利しよう!
再度、明らかにする。私たちは美世志会とともに最後まで闘い抜く!
2011年11月1日
「弾圧から9年!最高裁に口頭弁論を開かせ、美世志会の逆転無罪を実現する11・1大集会」
いま最高裁要請行動は186回を超え、逆転無罪に向け全国の支援する仲間が無罪を訴え続けています。
僕たち被告人とされた7名も一緒に参加して無罪を訴えています。
最高裁へ要請に行って2年、これだけ要請行動を行っているので必ず口頭弁論開催し「原判決破棄、自判無罪」と最高裁は判断してくれると確信して闘いましょう!

2011年07月17日
7・17 忘れぬ日
今日であの第一審不当判決から4年が過ぎました。
4年過ぎた今でも、小池勝雅裁判長から「主文。懲役1年、執行猶予3年、未決勾留200日」と告げられた悔しさを忘れられません。
悔しい日々でした。
すべて有罪の「判決書」を根拠とし、会社をクビになり、「革マル」キャンペーンに利用されました。しかし仲間の支えで乗り越えてきました。本当に全国の仲間の皆さんに感謝します。
あらためて、この不当な判決書を読み直しました。
組合活動について全く触れてません。
僕は脅迫の現場とされた場所にいないのに居たとされ、Y氏とすれ違っただけなのに脅迫していたような内容になってます。
また、Y氏が隠し撮りしてたテープにY氏の声で「怒れ、うんと怒れ、バカなんだから、周りがパーなんだから」という挑発的な発言があります。しかしこの声は「吉田であったと認められない。」という認定でした。小池裁判長以下裁判官の皆さんはY氏の顔を見ていないし声も聞いていないのです。
さらに、公判で「被害届が出される前から捜査を開始した」ことが明らかになったはずが「平成14年2月11日付けで警視庁に被害届を提出した」というだけの認定でした。
司法権力の力は、居ない場所に僕が居たとすることができます。Y氏本人の声に間違いないのに本人の声ではないともできます。被害届が提出される前から公安2課が捜査を始めていたことが裁判で明らかになったのに隠すこともできます。
こんなひどい判決はありません。許してはなりません。
いまだ最高裁からの連絡はありません。しかし必ず真実は明らかになります。あきらめずに逆転無罪のため闘っていきます。
4年過ぎた今でも、小池勝雅裁判長から「主文。懲役1年、執行猶予3年、未決勾留200日」と告げられた悔しさを忘れられません。
悔しい日々でした。
すべて有罪の「判決書」を根拠とし、会社をクビになり、「革マル」キャンペーンに利用されました。しかし仲間の支えで乗り越えてきました。本当に全国の仲間の皆さんに感謝します。
あらためて、この不当な判決書を読み直しました。
組合活動について全く触れてません。
僕は脅迫の現場とされた場所にいないのに居たとされ、Y氏とすれ違っただけなのに脅迫していたような内容になってます。
また、Y氏が隠し撮りしてたテープにY氏の声で「怒れ、うんと怒れ、バカなんだから、周りがパーなんだから」という挑発的な発言があります。しかしこの声は「吉田であったと認められない。」という認定でした。小池裁判長以下裁判官の皆さんはY氏の顔を見ていないし声も聞いていないのです。
さらに、公判で「被害届が出される前から捜査を開始した」ことが明らかになったはずが「平成14年2月11日付けで警視庁に被害届を提出した」というだけの認定でした。
司法権力の力は、居ない場所に僕が居たとすることができます。Y氏本人の声に間違いないのに本人の声ではないともできます。被害届が提出される前から公安2課が捜査を始めていたことが裁判で明らかになったのに隠すこともできます。
こんなひどい判決はありません。許してはなりません。
いまだ最高裁からの連絡はありません。しかし必ず真実は明らかになります。あきらめずに逆転無罪のため闘っていきます。
2011年06月23日
一日も早い復興を願い
6月22日、釜石市でボランティア活動に参加させていただきました。
被災されている釜石の仲間が4月15日に最高裁で要請行動をしてiいただきました。少しでも僕に出来ることはないか考えました。
3月11日の東日本大震災以降、3回目の現地入りですが初めてボランティア活動に参加させていただきます。
このボランティア活動は僕がお世話になっているJR東労組の取り組みです。釜石市の社会福祉協会に団体登録を行いボランティア活動を行います。
9時に受付を済ませ現場へ
JR東労組高崎地本の仲間と盛岡地本一関支部の仲間、釜石支部の仲間12名で作業を開始しました。
作業は、大津波で被害にあった中華店の泥出し、瓦礫撤去、運搬を行いました。
この日は何と最高気温32.3℃を記録する猛暑!
何十回も繰り返すスコップでの泥すくい作業は本当に大変な作業でした。またアイスを入れる業務用の冷蔵庫には津波で入った海水が残っており強烈な悪臭を発していました。
さらに今までに見たことのない巨大な蠅の大軍を見たとき・・・夏になったら蚊も発生してくるでしょう。
風が吹くだけですごい砂埃が舞います。目を開けてられません。余震もありました。テレビでは伝えられない現状です。
テレビなどでは復興しているかの様ですが現状はまだまだ復興には程遠い感じがします。
しかし依頼者(この家の持ち主)さんが汗を流しながら必死で作業を行っている姿に僕も心を打たれました。また依頼者さんからアイスの差し入れがあり「ありがとうね。」と言っていただきました。本当にうれしかったです。
なんとか釜石支部の仲間の助けもあって16時には無事作業を終了しました。しかし一階はなんとか片付きましたが2階は手つかずです。これだけ一日作業をやっても終わりません。でも言葉で「復興」を繰り返しても行動しなければ進まないのも事実です。
僕たちは鉄道労働者ですので地域と連帯して鉄道の復旧を通じた被災された街の一日も早い復興を願っています。


被災されている釜石の仲間が4月15日に最高裁で要請行動をしてiいただきました。少しでも僕に出来ることはないか考えました。
3月11日の東日本大震災以降、3回目の現地入りですが初めてボランティア活動に参加させていただきます。
このボランティア活動は僕がお世話になっているJR東労組の取り組みです。釜石市の社会福祉協会に団体登録を行いボランティア活動を行います。
9時に受付を済ませ現場へ
JR東労組高崎地本の仲間と盛岡地本一関支部の仲間、釜石支部の仲間12名で作業を開始しました。
作業は、大津波で被害にあった中華店の泥出し、瓦礫撤去、運搬を行いました。
この日は何と最高気温32.3℃を記録する猛暑!
何十回も繰り返すスコップでの泥すくい作業は本当に大変な作業でした。またアイスを入れる業務用の冷蔵庫には津波で入った海水が残っており強烈な悪臭を発していました。
さらに今までに見たことのない巨大な蠅の大軍を見たとき・・・夏になったら蚊も発生してくるでしょう。
風が吹くだけですごい砂埃が舞います。目を開けてられません。余震もありました。テレビでは伝えられない現状です。
テレビなどでは復興しているかの様ですが現状はまだまだ復興には程遠い感じがします。
しかし依頼者(この家の持ち主)さんが汗を流しながら必死で作業を行っている姿に僕も心を打たれました。また依頼者さんからアイスの差し入れがあり「ありがとうね。」と言っていただきました。本当にうれしかったです。
なんとか釜石支部の仲間の助けもあって16時には無事作業を終了しました。しかし一階はなんとか片付きましたが2階は手つかずです。これだけ一日作業をやっても終わりません。でも言葉で「復興」を繰り返しても行動しなければ進まないのも事実です。
僕たちは鉄道労働者ですので地域と連帯して鉄道の復旧を通じた被災された街の一日も早い復興を願っています。


2011年06月05日
上告して2年
2009年6月5日に上告してから今日で2年になりました。いまだ最高裁からの連絡はありません。
本当に長いです。
友人の佐藤優さんの話では、特別郵便で上告棄却の連絡が来たそうです。
毎日郵便ポストを気にしています。
いつ連絡が来るのか全くわからず、待つだけなので本当苦しいです。
この2年はいろんなことがありました。
最高裁要請行動は2009年11月から始まり、今日まで95回を重ねました。支援してくださる全国の市民の皆さん本当にありがとうございます。
この半年ほどで、僕らは大事な人を相次いで失いました。JR東労組初代委員長・松崎明さん、そして2002年11月1日の公安警察からの弾圧当時のJR東労組委員長だった角岸さん、そして後藤昌次郎先生、支援する会の清水豊さん。本当に残念です。
僕たちを控訴棄却した中山裁判長は広島高等裁判所長官に出世し、僕たちを訴えたY氏は昨年1月15日JR東日本会社に復職していました。この国と社会はどうなっていくのでしょうか。
それでも僕は無実を訴え、最高裁裁判所に向かいます。
しかし最高裁裁判所はこの2年間に1度も裁判を開きませんでした。これが本当に裁判なのかと感じてます。
最高裁判所は最後の法の番人です。僕らの訴えをこれだけ長い時間考えてくれているのですから、口頭弁論が開催されるに違いありません。僕らは法律の正義に期待しています。
本当に長いです。
友人の佐藤優さんの話では、特別郵便で上告棄却の連絡が来たそうです。
毎日郵便ポストを気にしています。
いつ連絡が来るのか全くわからず、待つだけなので本当苦しいです。
この2年はいろんなことがありました。
最高裁要請行動は2009年11月から始まり、今日まで95回を重ねました。支援してくださる全国の市民の皆さん本当にありがとうございます。
この半年ほどで、僕らは大事な人を相次いで失いました。JR東労組初代委員長・松崎明さん、そして2002年11月1日の公安警察からの弾圧当時のJR東労組委員長だった角岸さん、そして後藤昌次郎先生、支援する会の清水豊さん。本当に残念です。
僕たちを控訴棄却した中山裁判長は広島高等裁判所長官に出世し、僕たちを訴えたY氏は昨年1月15日JR東日本会社に復職していました。この国と社会はどうなっていくのでしょうか。
それでも僕は無実を訴え、最高裁裁判所に向かいます。
しかし最高裁裁判所はこの2年間に1度も裁判を開きませんでした。これが本当に裁判なのかと感じてます。
最高裁判所は最後の法の番人です。僕らの訴えをこれだけ長い時間考えてくれているのですから、口頭弁論が開催されるに違いありません。僕らは法律の正義に期待しています。
2011年06月01日
後藤昌次郎さん 清水豊さんを偲ぶ会
5月31日に後藤昌次郎さんと清水豊さんを偲ぶ会を開催しました。
僕らを励まし支えてくださった弁護士の後藤昌次郎先生が2月10日にお亡くなりになりました。87歳でした。後藤先生は松川事件や八海事件、警視総監公舎爆破未遂事件など数々の冤罪事件の弁護に携わった、人権を守る弁護士です。
清水豊さんは1949年7月15日に発生した三鷹事件で被告とされ無罪になった方です。昨年12月30日にお亡くなりになりました。ずっと支援する会で支えていただきました。
僕が後藤先生に最後にお目にかかったのは1月17日です。7人の仲間でお見舞いに行ったのです。
「全国で60回以上も最高裁への要請行動をしています」
耳元でこうお伝えすると、「うんうん」と頷いておられました。
「口頭弁論はまだ開催されていません。開催に向けてまた頑張りましょう」
決意を伝えたところ、頷いて「頑張ろう」と応えてくださいました。
「ブドウを食べたい」とおっしゃったので「秋になったら一緒に食べましょう」と約束したのです。しかし、これが最後のやり取りになりました。
ご逝去を知ったのは仲間からの携帯メールです。2月11日午後3時22分に届きました。ごく簡潔に「後藤先生が亡くなった。詳細は分からない」というものです。
そのとき僕は釜石での仲間の集まりに呼ばれていました。
「後藤先生の経験と洞察力がなければ国家権力の謀略をここまで明らかにできませんでした」
と仲間に語り、後藤先生のご冥福を祈りました。
後藤先生は上告趣意書でこのように主張してくださいました。
<国家権力による謀略冤罪事件に共通する特徴は、事件の鍵となる本質的な部分、無くてはならぬ「物」や「人」や「事」を隠すことである。松川事件では「諏訪メモ」を隠し、菅生事件では真犯人である「戸高公徳」を隠し、本件では「革マル発言」の中身と意味を示す発言の時期と経過を隠した>
後藤先生の迫力ある低い声を思い出します。
僕が捕らわれていた時、面会に来て、僕の目を見ながらゆっくりした口調でこう言ってくださいました。
「最大の弁護人はあなた自身。自分が無実だと思っていない人にはいくら優秀な弁護士がついても勝てない。」
僕が自白調書を書いてしまったことを伝えても、後藤先生は「裁判で証言することが一番の証拠なんだ」と励ましてくださったのです。
当事者にとって長期間の勾留が最もこたえます。そこで早く保釈されたいと思ってしまうと、無実をきちんと主張して闘うより、国家権力の言いなりになってしまい、本当は無実なのに罪を認めたほうがいいという計算をしてしまいそうになります。そんな僕の気持ちを見抜いて、本当に大事なことを教えてくれました。
「あなたにとって長期勾留は問題ではない。無実を主張しなければならない」という後藤先生の言葉があったからこそ、僕は今まで闘うことができているのです。
「最大の弁護人は自分」という後藤先生の言葉を胸に刻んで前進します。


僕らを励まし支えてくださった弁護士の後藤昌次郎先生が2月10日にお亡くなりになりました。87歳でした。後藤先生は松川事件や八海事件、警視総監公舎爆破未遂事件など数々の冤罪事件の弁護に携わった、人権を守る弁護士です。
清水豊さんは1949年7月15日に発生した三鷹事件で被告とされ無罪になった方です。昨年12月30日にお亡くなりになりました。ずっと支援する会で支えていただきました。
僕が後藤先生に最後にお目にかかったのは1月17日です。7人の仲間でお見舞いに行ったのです。
「全国で60回以上も最高裁への要請行動をしています」
耳元でこうお伝えすると、「うんうん」と頷いておられました。
「口頭弁論はまだ開催されていません。開催に向けてまた頑張りましょう」
決意を伝えたところ、頷いて「頑張ろう」と応えてくださいました。
「ブドウを食べたい」とおっしゃったので「秋になったら一緒に食べましょう」と約束したのです。しかし、これが最後のやり取りになりました。
ご逝去を知ったのは仲間からの携帯メールです。2月11日午後3時22分に届きました。ごく簡潔に「後藤先生が亡くなった。詳細は分からない」というものです。
そのとき僕は釜石での仲間の集まりに呼ばれていました。
「後藤先生の経験と洞察力がなければ国家権力の謀略をここまで明らかにできませんでした」
と仲間に語り、後藤先生のご冥福を祈りました。
後藤先生は上告趣意書でこのように主張してくださいました。
<国家権力による謀略冤罪事件に共通する特徴は、事件の鍵となる本質的な部分、無くてはならぬ「物」や「人」や「事」を隠すことである。松川事件では「諏訪メモ」を隠し、菅生事件では真犯人である「戸高公徳」を隠し、本件では「革マル発言」の中身と意味を示す発言の時期と経過を隠した>
後藤先生の迫力ある低い声を思い出します。
僕が捕らわれていた時、面会に来て、僕の目を見ながらゆっくりした口調でこう言ってくださいました。
「最大の弁護人はあなた自身。自分が無実だと思っていない人にはいくら優秀な弁護士がついても勝てない。」
僕が自白調書を書いてしまったことを伝えても、後藤先生は「裁判で証言することが一番の証拠なんだ」と励ましてくださったのです。
当事者にとって長期間の勾留が最もこたえます。そこで早く保釈されたいと思ってしまうと、無実をきちんと主張して闘うより、国家権力の言いなりになってしまい、本当は無実なのに罪を認めたほうがいいという計算をしてしまいそうになります。そんな僕の気持ちを見抜いて、本当に大事なことを教えてくれました。
「あなたにとって長期勾留は問題ではない。無実を主張しなければならない」という後藤先生の言葉があったからこそ、僕は今まで闘うことができているのです。
「最大の弁護人は自分」という後藤先生の言葉を胸に刻んで前進します。


2011年04月17日
被災地・釜石から要請行動
4月15日「釜石市民の会」の皆さんが最高裁要請行動を行い、口頭弁論開催を求めました。
3月11日の大震災で自らも被災しているのに僕たちの勝利のため、そしてえん罪を許さず憲法28条団結権を守るため立ち上がってくださったのです。
東日本大震災でも裁判は終わりません。本当に勇気をいただきました。
仲間からは「地震や津波は天災だ。でもえん罪は国家による犯罪だ。ここで有罪が確定したら7名の人生は取り戻せない」と訴えたという報告を聞いて、非常に感動しました。本当にありがとうございます。
2泊3日の行程で闘ってくれました。復興に向けて大変なときに釜石の仲間の皆さん本当にありがとございます。
釜石・宮古の仲間もブログも読んでいると聞きました。全国の仲間は支えています。
その後も要請行動は続き、立川市民の会の皆さんが口頭弁論開催を求めました。立川市民の会の皆さんも継続して訴えてくださっています。
3日前の4月12日、「えん罪を許さないバス運転士の会」の皆さんも16名で訴えてくださいました。
市民の皆さん・仲間の皆さん本当にありがとうございます。
この闘いの中で担当していた方が異動で交代したそうです。1審の裁判官も6人交代しましたが同じことが起こりました。
しかし支援の輪はさらに拡がっています。
最高裁は早期に口頭弁論を開催し、憲法28条団結権を保障して有罪判決を見直せ!
3月11日の大震災で自らも被災しているのに僕たちの勝利のため、そしてえん罪を許さず憲法28条団結権を守るため立ち上がってくださったのです。
東日本大震災でも裁判は終わりません。本当に勇気をいただきました。
仲間からは「地震や津波は天災だ。でもえん罪は国家による犯罪だ。ここで有罪が確定したら7名の人生は取り戻せない」と訴えたという報告を聞いて、非常に感動しました。本当にありがとうございます。
2泊3日の行程で闘ってくれました。復興に向けて大変なときに釜石の仲間の皆さん本当にありがとございます。
釜石・宮古の仲間もブログも読んでいると聞きました。全国の仲間は支えています。
その後も要請行動は続き、立川市民の会の皆さんが口頭弁論開催を求めました。立川市民の会の皆さんも継続して訴えてくださっています。
3日前の4月12日、「えん罪を許さないバス運転士の会」の皆さんも16名で訴えてくださいました。
市民の皆さん・仲間の皆さん本当にありがとうございます。
この闘いの中で担当していた方が異動で交代したそうです。1審の裁判官も6人交代しましたが同じことが起こりました。
しかし支援の輪はさらに拡がっています。
最高裁は早期に口頭弁論を開催し、憲法28条団結権を保障して有罪判決を見直せ!
2011年04月11日
東日本大震災から一ヶ月
3月11日14時46分に発生した東日本大震災から今日で1カ月経ちました。
多くの亡くなられた皆様のご冥福をお祈り、黙祷を捧げました。
これからも被災されている皆様を支援していきます。
多くの亡くなられた皆様のご冥福をお祈り、黙祷を捧げました。
これからも被災されている皆様を支援していきます。
2011年03月16日
3月11日 M9.0 東日本大震災
3月11日14時46分ごろに発生したマグニチュード9.0の巨大地震とその後の大津波は、東北を中心に甚大な被害をもたらしました。亡くなられた大勢の皆様に対し、心からご冥福をお祈り申し上げます。また被災された皆様に対しまして、心からお見舞い申し上げます。そして救援活動や復旧作業をしている皆様に心から敬意を表します。
あの日、僕は東京駅の中央線ホームで大地震に遭遇しました。経験したことのない地震でした。何度も揺れて恐怖を感じました。電車内にいた幼稚園児たちが泣き出してしまいました。
「お母さん こわいよー」
「大丈夫だよ。心配ないよ」
「これ何?(携帯ストラップ)」
「ネズミ男だよ」
「へー」
なんでもいいから会話をして大地震の恐怖を紛らわせました。
「避難命令」があり、駅構内から出なくてはなりませんでした。あの子どもたちは無事にお母さんのもとに帰宅できたでしょうか?
気仙沼出身の仲間から家族の連絡が取れないとメールがあり心配していましたがその後連絡がとれたそうです。しかし、いまだに連絡がとれない仲間が大勢います。今まで支援してくださっている東北・関東地方の仲間たちです。
1カ月前の2月13日に宮古へ行きました。
若い仲間に激励され、デパート前で浦和電車区事件のビラをみんなで配布しました。夜はお酒を飲み交わしカラオケでも盛り上がりました。その宮古が大津波に襲われています。被害状況は把握できませんが、テレビで流れる各地の映像に言葉が出ません。
今日も厳しい寒さです。被災され頑張っている皆様に私たち7人がつくった応援メッセージを送ります。
「東北地方太平洋沖地震」で被災した組合員の皆さんへ
北海道から東北、関東地方にかけて、広い範囲で甚大な被害をもたらした「東北地方太平洋沖地震」で亡くなられた多くの皆様に対しまして、心よりご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された皆様に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
被災した地域の現状が次第に明らかになってきています。被災地の地名を見るたびに、私たちは「えん罪・JR浦和電車区事件」の集会や「全国キャラバン」で、その地を訪れ、真剣に語り合い、あたたかな激励をいただき、そして楽しく語り合った、当該地域の仲間の皆さんの顔を思い浮かべます。
仲間の皆さんは、私たち美世志会が、どんなに辛いときも共に闘い、明るく励ましてくれました。ですから、私たちも家族も、今まで闘い続けることができているのです。皆さんが辛いときに、私たちが出来る限りの闘いをするのは当然のことです。
私たち美世志会7名は現在、JR総連、JR東労組本部、JR東労組大宮地本、鉄道ファミリー、目黒さつき会館で、それぞれの任務についています。
私たちは、被災された皆さんの支援のために、それぞれが闘う場で全力を尽くします。
2011年3月16日 美世志会
あの日、僕は東京駅の中央線ホームで大地震に遭遇しました。経験したことのない地震でした。何度も揺れて恐怖を感じました。電車内にいた幼稚園児たちが泣き出してしまいました。
「お母さん こわいよー」
「大丈夫だよ。心配ないよ」
「これ何?(携帯ストラップ)」
「ネズミ男だよ」
「へー」
なんでもいいから会話をして大地震の恐怖を紛らわせました。
「避難命令」があり、駅構内から出なくてはなりませんでした。あの子どもたちは無事にお母さんのもとに帰宅できたでしょうか?
気仙沼出身の仲間から家族の連絡が取れないとメールがあり心配していましたがその後連絡がとれたそうです。しかし、いまだに連絡がとれない仲間が大勢います。今まで支援してくださっている東北・関東地方の仲間たちです。
1カ月前の2月13日に宮古へ行きました。
若い仲間に激励され、デパート前で浦和電車区事件のビラをみんなで配布しました。夜はお酒を飲み交わしカラオケでも盛り上がりました。その宮古が大津波に襲われています。被害状況は把握できませんが、テレビで流れる各地の映像に言葉が出ません。
今日も厳しい寒さです。被災され頑張っている皆様に私たち7人がつくった応援メッセージを送ります。
「東北地方太平洋沖地震」で被災した組合員の皆さんへ
北海道から東北、関東地方にかけて、広い範囲で甚大な被害をもたらした「東北地方太平洋沖地震」で亡くなられた多くの皆様に対しまして、心よりご冥福をお祈り申し上げます。また、被災された皆様に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
被災した地域の現状が次第に明らかになってきています。被災地の地名を見るたびに、私たちは「えん罪・JR浦和電車区事件」の集会や「全国キャラバン」で、その地を訪れ、真剣に語り合い、あたたかな激励をいただき、そして楽しく語り合った、当該地域の仲間の皆さんの顔を思い浮かべます。
仲間の皆さんは、私たち美世志会が、どんなに辛いときも共に闘い、明るく励ましてくれました。ですから、私たちも家族も、今まで闘い続けることができているのです。皆さんが辛いときに、私たちが出来る限りの闘いをするのは当然のことです。
私たち美世志会7名は現在、JR総連、JR東労組本部、JR東労組大宮地本、鉄道ファミリー、目黒さつき会館で、それぞれの任務についています。
私たちは、被災された皆さんの支援のために、それぞれが闘う場で全力を尽くします。
2011年3月16日 美世志会
2011年01月17日
国際労働機関(ILO)第6次勧告
2011年――。逮捕から9回目の年が明けました。
今年もよろしくお願いします。
更新していなくてごめんなさい。今年こそ勝利を確信して無実を訴えていきます。
さっそくですが、JR総連への弾圧に関して国際労働機関(ILO)が日本政府に昨年11月18日に勧告を出しました。2004年11月の第1次勧告以降、今回で6次勧告になります。
6次勧告の内容は、
1.刑事判決について浦和電車区事件を見直すにあたって団結権の原則を念頭に置くよう期待を表明。
2.浦和電車区事件被告人6名の懲戒解雇に関する地位確認訴訟について、引き続き経過の報告を要請。
3.「蒲郡駅事件」上告棄却に関して、厳しい判決への懸念を表明し、この件についての見解を日本政府に要求。
4.JR総連がILOに送付した追加情報の中で、警察、政府、マスコミなどによるJR総連への「過激派」キャンペーンが引き続き、一部労働組合も加担し、その損害は計り知れないこと主張していることについて、日本政府の回答を要請。
この6次勧告は1月12日最高裁要請行動(68回)で報告してきました。そして証拠としても最高裁へ提出していく予定です。
もちろん世界の労働者が注目している判決です。
最高裁には団結権を保障すると答えてほしい。
団結権を避けて判決をすることは許しません。
今年もよろしくお願いします。
更新していなくてごめんなさい。今年こそ勝利を確信して無実を訴えていきます。
さっそくですが、JR総連への弾圧に関して国際労働機関(ILO)が日本政府に昨年11月18日に勧告を出しました。2004年11月の第1次勧告以降、今回で6次勧告になります。
6次勧告の内容は、
1.刑事判決について浦和電車区事件を見直すにあたって団結権の原則を念頭に置くよう期待を表明。
2.浦和電車区事件被告人6名の懲戒解雇に関する地位確認訴訟について、引き続き経過の報告を要請。
3.「蒲郡駅事件」上告棄却に関して、厳しい判決への懸念を表明し、この件についての見解を日本政府に要求。
4.JR総連がILOに送付した追加情報の中で、警察、政府、マスコミなどによるJR総連への「過激派」キャンペーンが引き続き、一部労働組合も加担し、その損害は計り知れないこと主張していることについて、日本政府の回答を要請。
この6次勧告は1月12日最高裁要請行動(68回)で報告してきました。そして証拠としても最高裁へ提出していく予定です。
もちろん世界の労働者が注目している判決です。
最高裁には団結権を保障すると答えてほしい。
団結権を避けて判決をすることは許しません。





